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皇海山 2011年 6月18日 皇海橋からピストン(単独・日帰り) 昨年、17日に庚申山に出かけていた。 今回は、高速料金1000円上限の駆け込み利用で出かけることにした。 遠い群馬県まで出かけるので、一座だけでは申し訳ない!調べてみると近くに百名山の一つ、皇海山があった。 天気予報はあまり良くないが、高速の料金改正はまってくれない。 清水の舞台から飛び降りるような覚悟で、 国民宿舎を利用しての、超贅沢な今回の山行きである。 以下沼田市ホームページより 平安から鎌倉時代、日光を中心に庚申山、鋸山、皇海山など足尾山塊の山々は、 勝道上人の弟子たちによって開山され、山岳仏教の修行地となっていったと伝えられる。 明治26年には、東京の庚申講中によって、皇海山項東方に青銅の剣が奉納され、現在も立派に残っている。 故深田久弥氏の登山記によると、皇海山は遠くから眺めた形から推して、昔は笄山(こうがい山)と呼ばれていたが、そのコウガイが皇開と宛字され、やがて皇海となり、皇はスメラとも読むところから皇海はスカイと呼ばれるようになったと伝えられる。 近年、群馬県利根村追貝の奥から栗原川林道が開放され、皇海山、鋸山への登山は時間が半分に短縮され、登りやすくなった。 |
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<登山マップ>(マップをクリックすると地図へ) |
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<野生動物等侵入防止柵> |
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<皇海橋登山口(駐車場・便所は対岸> |
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8:05 皇海橋登山口駐車場 自宅出発が3:00頃、松本から松本トンネルを経て上越自動車道の東部湯の丸ICで高速に入り、関越自動車道の沼田ICで一般道に降りて、林道始点の利根町根利集落に着いたのが7:10、約4時間の長丁場をこなしてホッとするも、そのまま橋のたもとの皇海山の標識に従って栗原川根利林道に入る。 林道に入ってしばらくは簡易舗装道路、やがて閉ざされたゲートに立ちはだかれてドキッとするも、「このフェンスは、野生動物等侵入防止のため設置したものです。扉は開けたらしめてください」の標識を見てほっとした。 動物除けゲートからしばらくすると、舗装道路は終わって腸捻転をおこしそうな荒れた道になって、もういい加減にして!と、悲鳴をあげそうになった頃ようやく駐車場に到着。 |
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<小さな広場> |
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<沢筋の登山道> |
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<広い二股> |
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<広い二股の、向かって右の沢に入る> |
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9:20 広い二股 登山口から少しの間は林道、すぐに右側の登山道に入り何度か不動沢の渡渉を繰りかえしながら、少しずつ高度を稼ぎながら進む。 途中のカラマツ林の中の小さな広場は、休憩に適しているがコースが緩やかなので、ここでの休憩の必要はないかも? |
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<不動沢のコル直前> |
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<不動沢のコル> |
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9:40 不動沢のコル 途中、2か所ばかり二股を通過するが、踏み跡や標識で間違った沢に向かうことはない。 最上部の二股では地図(上の)によるとちょっとした迂回路があるようなのだが気が付かなかった。(水場もあったかどうか記憶にない)ここからはぬかるんだ急傾斜の登山道を直登するなかなかの難路だった! |
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<途中のシャクナゲはまだ蕾み> |
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<山頂手前の青銅の剣> |
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<立派な山頂標識とマイザック> |
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10:30 皇海山山頂 今にも雨が降ってきそうな中鬱蒼とした樹林帯の中を進む、展望はまるっきりない。 山頂手前の急登に巨岩がいくつかあってそこに上れば鋸山から庚申山が見られるようであるが、今日の天候では登ってみるまでもない。 山頂手前の青銅の剣はなかなか立派!山頂広場も平らで快適そうであるが、展望がまるで利かない!ので、少し休憩しただけで下山開始。 |
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<こんな天気!> |
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<下山途中登山道から外れたところに咲いていた> |
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<新緑は綺麗なのだが・・・> |
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11:30 不動沢のコル 11:50 広い二股 12:45 皇海橋駐車場 |
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<帰路の林道で見た鹿たち> |
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[雑 感] 今回は、日にちで日程を決定したきらいが強いので、こんな天候でも文句は言えないがとても残念だった。 皇海山は、かって庚申山から鋸山を経由して登山するコースしかなかったが、近年林道が解放されて一般車が通れるようになったので、手軽に上れる山となったようである。そのせいかあまり苦労することなく登れて登頂の感動に乏しく、展望にもあまり恵まれないので、日本百名山の一つとは考えにくい山になってしまった感じがする。とはいうものの、深田久弥は皇海山の容貌に惚れたようではあるが・・・? |
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