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下の廊下 |
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2009、10、11〜12 黒四ダム〜欅平(6名・1泊2日) |
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この8日前後に「ざ・山姥が行く」の和たん達と仙人池方面を計画していたのだが、 あの大型台風の襲来予報でおジャンとなった。 和たん達は9日〜11日で島根・鳥取方面に転進するとのことで、お誘いがあったが余りにも遠いのでお断りしてしまった。 一方、「ジオンと山歩記」のジオンさんも別行動で下の廊下を目指すと言う! そこならば、当初案に近くて台風一過も期待できると深く考えもせずに同行をお願いした。 一行は東海地方4名、北陸地方2名の混成チームである。 危険な登山道と言う貧弱な知識だけでついて行くので、迷惑をかけねばいいのだが・・・ |
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一日目(10月11日)黒四ダム〜阿曽原温泉 |
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旧日電歩道・水平歩道 黒部峡谷・下の廊下・旧日電歩道・水平歩道などといろんな名前が出てくるので わけが分からない。 <水平歩道> 仙人谷〜欅平の約13kmの登山道で標高1000mの等高線に沿って岩盤をコ の字型に開削して付けられている。元々は当時大量な電力を必要としていたア ルミニュウムの精錬会社が、電源開発の調査用として昭和4年に作ったもので、 現在は旧日電歩道とともに関西電力が管理を引き継ぎ整備している。その整備 費は年間数千万円と言われている。 <旧日電歩道> 戦前の5電力会社の一つである日本電力(略称日電)によって、水力発電所建 設の調査用として1929年に作られたもので、仙人谷から黒部ダム間の約17k mである。戦後、関西電力が黒部ダム建設の条件として、水平歩道を含め て登山道を毎年整備することが義務づけられた。 いずれも断崖絶壁に穿たれた狭い歩道で、危険度が高く毎年のように犠牲者が 出ているようである。また、残雪がある程度消えてから整備を開始する関係 から、一年の中で通行可能なのは夏の終わりから秋にかけての1〜2ヶ月 のみであり、残雪が多い場合には数週間しか通行できない年や、まったく 通行できない年もある。 ○開通情報の入手について(阿曽原温泉小屋ホームページより) 富山県警察山岳警備隊、関西電力などから発表される開通情報については、 ルート整備工事完了後の開通検査が終わった時点で発表されます。あくまで も工事が完了したかどうかの検査ですので整備終了後直ちに検査に入るもの ではありません。開通情報と実際に整備が終わっているかどうかは別と考えて もらって構いません。また、開通検査が終了したからといって、関係機関が通行 の安全を保障するものではありません。あくまでも登山は自己責任です。
あります。特にハシゴ・手すり等の設備に頼るときは、損傷がないか十分注意・ 確認して通行してください。 |
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<朝日に染まる扇沢> |
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<柏原新道のある尾根か?薄っすらと雪が・・・> |
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6:00頃 扇沢到着 3時に宇奈月に集合予定が、皆さん早めの到着で宇奈月の駅前に車をデポしたにもかかわらず、若干の余裕を持って到着できた。 準備をしているうちに鳴沢岳の稜線や周囲の山々が、モルゲンロートに赤く染まってなかなか良い雰囲気だ。 |
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<始発トロリーバスに乗車> |
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<黒四ダム出口> |
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<黒四ダム左岸上部御前谷?の紅葉状態> |
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<まずは左岸に渡る> |
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6:30 始発トロリーバスに乗車 切符の購入やトイレなどで時間はかかったもののなんとか始発に乗車することができた!乗客はかなり多く、そのほとんどが登山装備!気のせいだろうが皆さん、 下の廊下に向かっているように見える。 6:45 黒四ダム到着 トロリーバスに乗ったと思ったらあっという間に到着!出口は進行方向に進んで左、トイレの前を通って外に出る。 対岸の山の上は紅葉に染まっていて、嫌でも期待にテンションが上がってしまう。 |
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<観光放流の黒四ダム> |
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<雰囲気は良かったが赤沢岳やろか?> |
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7:20 右岸から左岸に渡る橋 下の廊下は、黒四ダムの提体下流の急傾斜をジグザグに河原まで降りて、木の橋を左岸に渡るところから始まる。 橋の幅は50センチくらいか?朝露に濡れて滑りそうで緊張する。上流を見れば提体中央付近から放流水が大きく広がって壮観である!この辺りからなんとなく? パーティーの歩行順が決まってきて、(というよりは遅い俺を先頭にしてくれたのかもしれないけど・・・)欅平まで行儀よく続いた。(が、俺の先行で行程全体に遅れ が来たことは歪めなく、終始申し訳ない気持ちで一杯でした。) |
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<この辺の紅葉は見頃か・中央は黒部別山?> |
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<今回最高の紅葉スポット> |
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<橋の向うが内蔵助谷出合> |
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<丸山?の岸壁> |
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8:25 内蔵助沢出合 ここまでは、比較的平坦な河原添いの登山道でさして問題なし! が、次から次に追い抜いていく登山者の多さに、早くも阿曽原温泉のテン場の空き状況が気になってきた。(阿曽原温泉のテン場の容量は標準30張り) ダム直下近くからこの辺りまでは、ある程度紅葉を楽しめたのだが、ここらあたりからは緑勝ちになってきた! また水の色も台風の影響だろうか若干濁っていて全体的にやや期待はずれである。(というよりはスリリングな登山道に景色を楽しむゆとりがなかったのかも?) |
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<新越沢の滝を上流から> |
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<登山道の様子(勇気あるパフォーマンス)> |
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<登山道の様子> |
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10:00 新越沢合流点 ところどころスリリングなところはあるもののここまでも比較的穏やかな登山道である。 |
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<短い脚を伸ばしてみました> |
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<ここも怖かった> |
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<高度感たっぷり!> |
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<狭いところでのすれ違い> |
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<別山沢出合の先のルンゼの混み具合をズームアップ> |
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<別山沢出合手前の高巻き梯子(この頂部での直立は相当度な勇気を要した> |
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<高巻き頂部付近をズームアップ> |
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<高巻き部別山沢側の降り> |
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<閑話休題> |
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<雪渓後のザレザレを別山沢に向かって降る(相当の年輩の方でした)> |
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<別山沢出合> |
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<別山沢出合の雪渓の残骸> |
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<別山沢出合の先で渡渉> |
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<難路は続く> |
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11:00 別山沢出合 この出合手前の高巻き(残雪のせいではなく、夏道の崩壊によるものと思うが・・・)は、丸太でしっかり作ってあって何の心配もないのだが高度感が素晴らしく、かな りビビってしまった!特に梯子足場の頂点付近は傾斜も際立って急なので、ちびってしまうかと思った! 出合いではしばしの休憩、高巻き梯子の恐怖?で話題が盛り上がった!かな? ここにまだ雪渓の残骸が残っているので、夏道は通らず合流点付近をショートカットするので短い距離ではあるが、流れに沿って渡渉する。 |
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<こんな所も・・・> |
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<この辺が白竜峡か?> |
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12:05 白竜峡 ここらあたりがこの下の廊下の核心部だったか?かなりビビった記憶はあるのだが、細かいところは記憶が飛んでしまっている? ああっ!書き忘れていたが、コースの全般には手すり代わりの番線(8番線よりは太い?のが2本撚り)が腰の高さぐらいに張ってあって、多いに安心感を与えてく れている。 これが無かったら、俺には戻るしか手段は無い!細いので素手で強く引っ張る手のひらが少し痛いがと、有りがたいことである・・・。 |
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<風景の様相が変わってきた?> |
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<渋滞気味> |
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<十字峡交点・手前が剱沢向う対岸が棒小屋沢、黒部川は右から左> |
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<棒小屋沢上部> |
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<十字峡パノラマ写真・左岸からは剱沢(超失敗作ですが・・・)>(写真をクリックすると動くパノラマ写真) |
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<剱沢にかかる吊橋、余り長くはないが揺れて怖かった!> |
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<剱沢の滝壷に虹が・・・、その斜め上には吊り橋が> |
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13:20 十字峡 無知な俺でもこの十字峡の知識はあったが、手前の広場で休憩に入った時には少し違和感を覚えた!休憩広場は二段に分かれており、そこからは吊橋も見えな いし、谷も見え無くて少しも十字峡らしくないのである。 休んでいると、いつの間にか姿を消していたハウさんが戻ってきて十字峡の写真を撮ってきたと・・・。 詳しく聞くと、やや危険な場所ではあるが十字峡撮影の好スポットがあるとのこと。ここに来るまでに十分くたびれてしまってはいたが、後で反省しないように行って みることにした。踏み跡程度の急坂を駆け下りて着いたところは大岩の脇、その角の方にザイルが下がっていて、それにぶら下がって降りた大岩の岩棚のようなと ころが撮影スポットらしい!足を滑らすとドボン!という感じで怖かったけれど来てしまった以上は、降りるしかない! しばらく写真を撮っていると、日が当ってきて滝壺の上に虹が・・・、超満足の瞬間であった。 |
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<様相が変わってきたとはいえまだこんなところが・・・> |
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<半月峡?S字峡?を俯瞰> |
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14:30 半月峡 地図にはS字峡とも書いてあるが良く分らない。 この辺りから山の様子が岩の山肌から緑の山肌になってきたように感じると同時に、谷底までの距離が大きくなって更に高度感が増してきた。 |
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<東谷吊橋とむこう黒四発電所の送電線引き出し口> |
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<東谷吊橋(この橋も凄く怖かった!> |
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<仙人ダム湖と雲切り新道登り口(中央梯子)> |
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<まだうら若いジュウモンジソウ> |
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<仙人山方面?の紅葉は盛りか?> |
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15:45 仙人谷ダム 黒四発電所が目の前に見えてきたところで登山道は谷底に向かって急激に降り、なが〜い東谷吊橋の左岸袂に降り立つ、ここにきて黒四ダム直下で左岸に渡って 以来、初めて右岸に渡るのである。 吊橋の構造は見ての通りだが、高さ10m以上?長さは150m有るという。高所恐怖症者に言わせれば途中で進退をきわめる位恐ろしい橋である。 やや高い手すりの位置に水平のワイヤーが張ってあるが1、5mくらいの間隔で垂直の支え線がとめてあるので、その都度手すり線から手を放さなければならない、こ れが恐怖を倍増させるのである。 |
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<仙人谷ダム左岸の関電の通路> |
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<ここからが水平歩道?> |
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16:45 阿曽原温泉小屋到着 仙人谷ダムで提体上を再び左岸に渡り、標識に従って関電設備のドアを開けて通路の進む、照明があるので明かりはいらない。 途中のドアを開けたところで突然硫黄臭くて湿気を含んだ猛烈な熱気が・・・、小説にもなり、昭和12年の工事当時は岩盤温度160℃を越えたとも言われる、 高熱隧道(クリックすると黒三関連の説明頁へ飛びます。ぜひご覧ください。)の一端を覗いた一瞬である。 すぐに別の扉で普通の通路になり、しばらく進んで関電瞳平宿舎の大きな建物の横で屋外に出る。 更に進んだあとが疲労に拍車をかける標高差約200mの急登!あえぎながら登るとやがて送電線巡視路を左に分けて水平道となる。 水平道をしばらく進むと右に曲がって阿曽原温泉への急坂を降る。ここは、湿った石がごろごろしていて滑りやすく、草臥れた足にはゆっくり進める口実にできる。 小屋は、プレハブで冬季には完全にばらして冬季の雪害を避けるそうである。 小屋の前にはおじさんが待ち構えていて小屋は満タンだと言い、テン場は自分たちで探して設営せよと言う!テン場に行ってみれば我々のパーティーの3張り分を まとめて張ることは無理、というよりそれなりに設営できるスペースは一張り分しか残っていなかった。仕方ないので、入口の仮設足場の側近両サイドに無理やり二 張り張って何とか一夜を凌げる体制ができた。 準備が終わったら、中央に近いところに張った富山勢のテント前で待望の宴会の開始、東海勢の女性チームが用意してくれた鍋・富山勢の鱒の寿司をメーンにする 贅沢な献立である。皆さんが男女交代で入浴するのをしり目に俺はひたすら飲酒に耽った。 そのうちに隣のテントの埼玉の金太郎君も誘い込んで盛大のうちに夜は更けていったのである。 |
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