妙義山(石門巡り)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年 4月13〜24日 石門群登山道入り口・中の嶽神社周回(単独・日帰り)

 

 

 

 

 

毎度のように裏妙義山に行こうと思ったけれど、

運動不足による弱体化で自信がない!まして表妙義などとは・・・。

よくよく調べて行き当たったのがこの石門巡り、数時間で終わってしまうようなコースらしいので、若干物足りない!

が、終わった後に観光でもしてゆっくり帰ってこようと、言い訳しつつ出かけてみた。

 

 

 

 

 

 

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<案内マップ(石門巡りは中断左の広場周り)>

 

 

 

 

 

 

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<案内図>

 

 

 

 

 

 

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<駐車場はすごく広い>

 

 

 

 

 

 

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<登山口(左上に第一石門が見えている)>

 

 

 

7:50 桜の里駐車場

心密かに桜の花に期待をしていたが、数本の八重桜が綺麗に咲いていたものの、あとの桜は全て葉桜になってしまっていた。

満開時には高遠に負けないくらいの素晴らしい規模であろう!

8:00 登山口

駐車場から約10分

柴垣はるさんについて

石門一帯は、以前、民有地であった。その所有者が柴垣はるさんである。

 柴垣はるさんは、明治161月東京に生まれた。義兄に東北大学の本多光太郎博士を持つ家柄である。結婚後

医師である夫がまもなく死去したことによって、両親と三人で所有していた妙義山に移り住むこととなった。大正念4

のことである。当時とすれば東京から妙義の山里に住むことは、かなりの決断があってのことだったようだ。

 その後、親子三人の石門での生活が始まるが、昭和9年に母が、2年後には父が死去し、いよいよ柴垣はるさんは

孤独の身となった。一本杉に居をかまえた柴垣はるさんが、ハイカー達から「妙義のおばあさん」と親しまれたのは、

その後のことである。

 その柴垣はるさんが、終生の事業として、県に対して土地の寄付を申し出たのは昭和29年のことである。県立公園

が設置されてからも引きつづき一本杉に居をかまえ、妙義山とともに過したが、昭和37年に79才でその数奇の生涯

をとじた。

 

 

 

 

 

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<第一石門(登山口側から)>

 

<第一石門(通過後振り返って)>

 

 

 

 

 

 

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<カニの横ばい>

 

<たてばり>

 

 

 

 

 

 

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<たてばりを乗り越して下を覗くとつりばり>

 

<つりばりを振り返る>

 

 

 

 

 

 

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<かたてさがり>

 

<かたてさがりを振り返る>

 

 

 

 

 

 

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<石門広場から第四石門(向こうに見えるのが大砲岩)>

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<大砲岩基部に上る鎖>

 

<天狗の評定>

 

 

 

 

 

 

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<天狗の評定からかがみ岩?>

 

 

 

 

 

 

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<天狗の評定からびょうぶ岩と右たいほう岩>

 

 

 

 

 

 

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<天狗の評定降り口鎖>

 

<天狗の評定から第一石門と左上に駐車場>

 

 

 

 

 

 

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<第四石門基部から奇岩群>

 

 

 

 

 

 

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<見晴台から大砲岩と右てんぐの評定>

 

 

 

 

 

 

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<上の写真のズームアウト>

 

 

 

 

 

 

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<中の嶽神社>

 

<巨大な黄金のえびすさん>

 

 

 

 

 

 

[雑 感]

駐車場に帰着したのが10:10、急いで巡った訳ではないがあまりにも早く着きすぎてしまった。

それでも十分に楽しめたと思うこと自体体力の低下の現われだろうか?気持ち的には、次回この山塊に来たときには最高峰の相馬岳に挑戦してみたいと思うのは、単なる無謀なのか?

 

 

 

 

 

 

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