新潟・弥彦方面(雪割草)

 

 

 

 

 

 

2015年3月30日・31日 

(単独・旅館泊)

 

 

 

 

 

 

例年のごとく今回も雪割草である。

連続で同じ花を掲載するのは気が引けるけれど、この時期はこんなものか?

今年の開花は、ずいぶん茅かったようで

カタクリ・雪割草とも、少しシミが浮き出てしまっていた。

 

 

 

 

9:50 間瀬地区・曽樋山登山口

今回は一泊するので時間的・気分的に余裕綽々!調べてみると高速道路を活用しなくても1時間しか違わないので、富山県の信号が多いと思われる区間だけ高速道路を使いあとは国道8号線を使った。結果、6時間ちょっとで到着!

 

 

<山桜も咲いていた>

 

<シュンランは真っ盛り>

 

 

 

 

 

 

<ショウジョウバカマ>

 

 

 

 

 

<キバナアマナ>

 

 

 

 

 

 

<カタクリもいっぱい咲いていた>

 

 

 

 

 

 

<コシノ?コバイモ(偶然見つけてしまった)>

 

 

 

 

 

 

 

<全開直前>

 

<???オウレン>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〔弥彦山登山道・裏参道ルート〕

 

 

 

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<結構毛深いギフチョウ>

 

 

 

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〔二日目〕

 

 

 

 

 

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<先人の知恵・先人の力>

大河津分水路は、越後平野を洪水から守るために、大正11(1922)年につくられた人工河川で、「洗堰」や「可動堰」の操作により、現在洪水氾濫防御・水利用に大きな役割を果たし、地域の発展を支えています。

洪水時には信濃川本川を堰き止めて分水路にすべてを流し、渇水時には信濃川本川に流す。また、平常時には、双方に流すようではあるが、よくわからないながらも構想やら規模に感動してしまいました。

 

 

 

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<くにがみ山・国上寺(国上寺)>

 

 

 

時間的に余裕があったので次回の予習として国上山の登山口の下見に行ってきました。

ここは山頂まで30分足らずだそうだが、登山道にはカタクリや雪割草なども見られるので、来年生きていたら行きたいと思っている。

 

 

 

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 江戸時代と良寛・・・国上寺ホームページより
18歳で出家してから尼瀬の光照寺、備中の円通寺で修行。円通寺の国仙和尚が亡くなってからは中国・四国・近畿地方を行脚し、大徳のあるところを訪ねて業を重ねました。
京都に滞在中の父親が桂川に身を投げて自殺した後、越後に帰ってきました。良寛38歳の時です。
越後に帰った良寛は、寺泊の照明寺、野積の西生寺・・・等々約10年間処定を定めずに居を移していたのです。
文化元年(1804年)47歳の時に当山内にある五合庵に定住することとなりました。それは即ち五合庵に住んでおられた国上寺の前住職義苗和尚が亡くなられたからです。思えば出家してから30年間、永い漂泊の旅からやっと安住の地を得てほっとしたのでしょう。
「いざここに 我が身は老いん 足びきの 国上の山の 松の下いほ」     と詠んでいます。
その後、乙子神社の草庵に10年住まわれ、さらに島崎の木村元右衛門の小舎に移り、天保2年正月、74歳で亡くなられました。墓は同村隆泉寺に建てられています。
良寛は越後に帰ってから、晩年島崎に移るまで、約30年国上にいたので、今日残っている多くの詩や歌や書は大部分が国上山に住まわれていた時代の作です。
現在五合庵は新潟教育委員会により県の文化財に指定され、永久に保存することとなっています。

 

 

 

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ご祈願、厄除夫婦一代永代供養樹木家族パワーストーいろんなバリエーションがあるみたい>

 

 

 

 

 

 

[雑 感]

弥彦地区の雪割草も開花が早かったらしく花びらにシミのついたのが多く見られた。また、花数も全体的に少なかった気がした。

今回宿泊したのは、楽天トラベルで偶然見つけた新潟県見附市の「親しみの宿 草薙旅館」看板に偽りはなく新しく・綺麗な旅館でした。特に手作りと言う食事は、美味しかったのと、どこかの観光旅館みたいに食べきれないくらいの多くの料理でごまかしているのではなく、まさに手作りのおいしさでした。

夕食後退屈だったので宿で紹介してもらった居酒屋で二次会!店の人もお客さんもみな親切で楽しい時間を安く過ごすことができた・。

 

 

 

 

 

 

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