高賀山

 

 

 

 

 

 

2010年4月6日 高賀の里から往復(単独・日帰り)

 

 

 

 

 

 

今年の登山計画に入っていなかったが、以前からなんとなく気にかかっていた高賀三山。

2006年に瓢ヶ岳には登ったものの、後の二座にはなんとなく行きそびれていた。

今回、ふっと時間が空いたのでとりあえず、二座目を目指して急遽出かけることにした。

なお、登山口のある美並村の一部では、鰻を食べない村としてTVで紹介されたこともあり、結構有名なところなのだ! 

アッそれと高賀の神水と高賀の森水(高橋尚子)も・・・・

 

 

 

 

 

<ルート図>

 

<案内看板>

 

 

 

 

 

 

 

<由来はわからないが「力石」>

 

<林道脇の東屋>

 

 

 

 

 

 

 

<垢離取場の木橋>

 

<不動の岩屋>

 

 

 

 

 

 

 

<○○スミレ>

 

<カタクリ>

 

 

 

 

 

 

 

<キクザキイチゲ>

 

<ヤマルリソウ>

 

 

 

 

 

 

 

<高賀山山頂>

 

<御坂峠>

10:30 東 屋

広い緩やかな登山道を暫く行くと宮下林道と合流、右手に東屋が有り登山道は左側から始まっているので、ここが本当の登山口かも

しれない。

 

11:20 不動の岩屋

緩やかな谷沿いの登山道を辿って暫くすると垢離取場で立派な木橋を渡る、やがて石の階段になって小さな沢を横断する手前で沢

は二つに分かれる。

その沢と沢間の斜面はカタクリのちょっとした群落になっているが、まだ時期的に早いようで数輪しか咲いてはいなかった。登山道は

ここから急になってやがて巨岩が二つある岩屋に到着する。岩屋というだけあって岩の下は高さはあまりないが広い空間になってい

る。

 

12:00 御坂峠

急な登山道が続いて顎が出だした頃御坂峠に到着!標識には山頂まで800mとある。

前を覗きこむと、なんとすぐ下に舗装された立派な林道があってやや興ざめ!

 

12:30〜12:45 山 頂

御坂峠からは緩やかな稜線歩き!山頂はそれなりに展望が有るのだが、天候が予報ほど良くなくて遠望は効かない!本当なら乗鞍

や御岳が見られるらしいのだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

<峰稚児神社>

13:00 御坂峠

時間的にまだ余裕があるので峰稚児神社に行ってみることにした。

 

13:12 峰稚児神社

思ったより近くて安心した。

巨岩の上に鎮座する社は小さいながらも威厳が感じられる。また、横にあった碑には「一万五千の神霊社」と刻んであるが意味は良く

わからん!

 

峰稚児神社の由来(高賀癒しの里HPより)

「高賀宮記録」によれば、天暦元(947)年 藤原高光公が妖魔退治をした際に、高賀山頂東の峰にある大岩の上に社を建立した

のが始まりとされています。

この時、御門より賜った鏡をご神体とし、天児屋根尊・猿田彦尊・素盞鳴尊をご本神として遷宮しています。

虚空蔵菩薩信仰が盛んであった中世には、この峰稚児神社は高賀神社の「奥の院」としいて多くの修験者が修行に訪れた場所

でした。

江戸時代(17世紀)には、円空による雨乞いの祈祷が行われた記録があり、当社を含む高賀神社は、密教寺院としての色彩が

濃いことを示しています。

毎年4月29日は春の奥宮祭(峰稚児神社の祭礼)があり、稚児の名前から分かるように「子どもの守り神」として大岩の上に立

つこの社の前で、子ども神楽が奉納され、多くの参拝者でにぎわいを見せます。

 

 

 

 

 

 

<キクザキイチゲ>

 

 

 

 

 

 

 

<ヤマルリソウ>

 

 

 

 

 

 

<ミヤマカタバミ>

 

 

 

 

 

 

 

<??スミレ>

 

<ヨゴレネコノメソウ?>

 

 

 

 

 

 

<カタクリ>

 

 

 

 

 

 

<ヤマルリソウ>

 

 

 

 

 

<開花状況>

 

 

 

 

<高賀神社由来>

 

 

 

 

 

 

 

<高賀神社>

 

<高光公の猿虎蛇退治の像(由来は上と下に)>

<高賀癒しの郷HPより>

ずぅーとむかし、高賀山に魔物がおったと。

この魔物、得体が知れないばかりか、たびたび村へ降りてきて、田畑を荒らしたり女子どもを連れ去った。それだけじゃない。こともあ

ろうに、夏の盛りに大雪を降らせた。

じっとこらえておった村の衆じゃったが、もう我慢できん。そこで都へ軍勢を出してもらうように頼み込んだ。
しばらくして、御門の命を受けた藤原高光公が、部下をひきつれてやって来た。 

けど、高賀は山ん中、山に慣れない武士たちには、とうてい攻めることはできん。「魔物との戦は、きっと長引くに違いない。それには、

村人と仲ようして、落ち着いて攻めなくてはいかん。」そう思った高光公は、まず、高賀山の麓にお宮を建て、村人と一緒になって、魔

物退治を神に祈り続けた。
そんなある夜、「ふくべ(ひょうたん)の中に動かぬものを討て」と高光公に夢のお告げがあった。さっそく高賀の山続きの瓢ヶ岳へ部下

を引き連れて登って行った。頂上には沼があり、そのほとりの大きな木にはひょうたんのつるが巻きつき、鈴なりのひょうたんの中

に、ひときわ大きいひょうたんがぶら下がっておった。「夢のお告げはこれに違いない。」高光公は、エイッとばかり矢を放した。ギャオ

ー ! 山をゆるがす叫び声。と、そこには、頭が猿、体は虎、しっぽは蛇の死体が横たわっておった。

今でも、菅谷には、高光公がわらじを履き替えたという草鞋が森があるし、矢柄を作ったという矢作神社がある。

ふくべヶ岳の麓を流れておる川のほとりには、そのむかし、高光公が村人と一緒に必勝祈願したという六つのお宮が大切に祀られて

いる。

 

 

 

 

 

 

[雑 感]

時期的に早くてあまり花が咲いていなかったが、時間に余裕が有ったのでしつこく写真を撮っていたため、丁度良い時間に下山でき

た。

思ったより花の種類が多く感じたので、も少し時期を遅らせて再度訪れてみたいものである。

また、三山の残り一つの今渕ヶ岳にも、機会をとらえていかなければ不公平となってしまう!

 

 

 

 

 

 

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